「天国」について、明確でなくてもなんとなくイメージをしたことはあった。
子どもの頃は、「人を殺したら地獄に、悪いことをしなかったら天国に行ける」
なんて教えられたり、「天国にはご先祖様がいる」と言われたり
「天国」の明確な概念は知らなくとも、「天国」の存在は知っていた。
物語や、キリスト教的なイメージでしかなく、しっかりと教えられることのなかった
「天国」はみんなの頭の中で様々な形を描いている。
1つ目の「天国」 みんな集約バージョン
「死んだら天国に行く」そう言われてきたものだから、よっぽどの罪を犯して地獄に行っていない限り、みんな同じ天国に行くと思っていた。
だから、死んだら憧れの歴史上の人物に会えるのではないか。
何世紀もの人々が集まってしまったらぎゅうぎゅう詰めじゃないか。
虫も動物も集まるのなら、短命で人間より圧倒的に数の多い虫で天国はひどい状況なんじゃないか。
などなど、嬉しいこともあるけどひどい世界かもしれないという不安もある。
2つ目の「天国」 3つ目のステージバージョン
人間には3つのステージがあると考える。
1つ目は、お母さんのおなかにいる時。
2つ目は、現世。
3つ目は、天国。
現世での行いによって、3つ目のステージのレベルが変わり、そのステージで私たちは再び人生が訪れるのだ。
会いたい人には時空を超えて会うことができ、上のレベルには行けないが、下のレベルには自由に行き来することができる。
私たちの人生はまだまだ途中なのかもしれない。
3つ目の「天国」輪廻転生を待つバージョン。
仏教の教えでは、生命は生まれ変わり輪廻転生を行う。
日本では、仏教のそんな教えもなんとなく聞かされる。
目の前の虫は、前世では人間だったかもしれない。私も悪いことをしたら、次は虫にされるかもしれない。なんて思ったこともある。
テレビで、あなたの前世は武士でした。なんて話も聞く。
だから、天国に行ってもそこに留まるわけでなく、生まれ変わるのを待つだけなのかもしれない。
しかも期限は不明で、天国に来て何日かで生まれ変わりを宣言されるかもしれないし、
何十年も天国で生まれ変わるのを待っているかもしれない。
それでも、会いたい人には時空を超えて会うことができる。
なんともドキドキハラハラな天国もあるかもしれない。
誰も死んでいないからわからない「天国」。
死んだ者の話は聞けないから結局わからない「天国」。
想像が膨らみ続けるが、かく言う私は、死んだら無だと「天国」の存在は全く信じていない。