特に趣味はないけれど、強いて言えば映画鑑賞や読書。
映画も本も、時々の気分で見終わった後の感想が変わる。
「いい話だった」で終わるときもあるし、
ドンピシャりな作品に出合えば共感と教訓が得られ、
勇気があふれ、前向きな気持ちになる。
失恋したとき、
私はマーガレット・ミッチェルの『風と共にさりぬ』を読んだ。
度重なる逆境を目の前に、弱腰にならず、立ち向かい続けるスカーレットに勇気をもらった。
「全部明日考えよう」というセリフが好きで、辛い時に唱えるようになった。
「明日考えよう」というセリフは村上春樹の『スプートニクスの恋人』でも登場する。
生きていくうえで、この言葉は自分自身の強い味方になってくれると私は思う。
実際、夜の疲れ切った鈍い頭で何を考えても上手くいかないものだ。
まして、失恋のように身体に影響を及ぼしそうなほど痛む心を抱えている時に、
考え事をしたところで悪くなる一方だった。
涙が止まらなくなって、泣き疲れて眠った後の朝は、
目覚めた瞬間に衝撃を受けたほど心が痛みを忘れていた。
また、次第に心がズキズキしてきたけれど、
眠ることの偉大さを、文字通り「痛感」した。
『風と共にさりぬ』の終盤で、スカーレットはついにレットを愛していたことに気づく。しかし、時すでに遅しで、レットのスカーレットへの愛は冷めてしまっていた。
愛することがどれほど精神をすり減らすものでも、愛とは儚いものであり、
自分ではない他人の心に身をゆだねる、一種の運でもあると私は思う。
それでもスカーレットは「全部明日考えよう」と最後を締めくくっている。
映画『マリッジ・ストーリー』の終盤、
夫と離婚したい妻から、夫へ宛てられた手紙に「矛盾しているかもしれないが、私は夫を愛している」と書いている。
愛しているにも関わらず、互いの幸せのために離れることを選んだ夫婦はそれぞれの道を歩み出す。
「愛しているが、離婚したい」という一見矛盾した考えは、単純に2つの意味だけで出来ているのではなく、複雑な心の内から選び抜き取られただけの言葉だと思う。
私たちの心の中は、言葉に出来ないほど複雑で、矛盾に満ちていている。
私の失恋も、複雑な状況と心境にあった。
「悲しみ」や「辛さ」といった単純な言葉では表現できない、
やり場のない感情を抱えていた。
その感情は自分の力ではどうすることも出来ないし、
時間が解決してくれるのを待って耐え続けるしかなかった。
そんな時に映画鑑賞や読書をすると、
自分の感情がきれいに言語化され表現されているように感じた。
気持ちが少しずつ整理され、心がすっと軽くなった。
絡まってほどけなくなった糸が、一本ずつすっと抜き取られるみたいに。
どうしようもなくなった絡まった糸とたちは、
こんなにもきれいにほどけるものなのか。と驚くほど映画や小説は人の心情を上手く表現していた。
この糸を集めることが人生の楽しさだと思う。
そして、糸をほどく快感が映画や本にはあると思う。
その糸が固く、大きく絡まれば絡まるほど、
映画や本によって解かれていく快感は大きくなる。
それが、映画や本の魅力だと私は思う。